ときどき「ライターの」と言われることもある、やさぐれ書店員のはなし。
今週のお題「自己紹介」
に便乗して、恥ずかしくも自分の話を。(このブログの使い方もよくわかっていないので、この次更新するかもわかったもんじゃないんですけど・・・)
今の本屋の初日、22歳の私は「卒業旅行に恐山に1人で行って、自殺しようとしているんじゃないかと恐山行きのバスで隣のおばあちゃんに心配されました。よろしくお願いします」というどうにもリアクションしがたいボケ(その時はウケるだろうと思っていた)をなぜか暖かく、優しく楽しい同僚たちに理解され、幸せなことに、もう4年、書店員をやっている。
ただ本を「あいうえお順」に並べるのも苦手、整理整頓も苦手、POP作りも苦手。ニガテ尽くしのドジ尽くし。それでも本屋の仕事はわりと好き。みんなが好きで、今住んでいるこの町が好きで。毎日いろんな人に会って、映画じゃないけど、誰かの人生をちらっと覗き見するような、そんな毎日のような気がするからだ。
物心ついた時から、豊臣秀吉と誕生日が同じなので天下をとるんだと思っていた(後日、秀吉の誕生日と一緒でもなんでもなく、勘違いだったことが約十何年越しに発覚しました)。でもなんだかうまくいかず、外にでたらいつも雨、エスカレーターのタイミングに困惑し、大きな舞台に上ったら、スポットライトが眩しすぎて途端に豆粒みたいに小さくなってしまう私は、ちょっとふしあわせでいたほうがしあわせかもしれない、なんて思うオトナになってしまった。
本屋の日常を終えて、喋りつかれたように、お休みの日はふと黙って映画館の座席に身体を沈める。そしてこの光景を、この感情を少しでも自分の中に留めておきたくて、文章にしていた。もし、よかったら、誰かに伝わるといいな、、とちょっとだけ思ったりもした。そんな感じで書き続けて、、今は夢中。夢の中にいる。
最近、ドラマや映画のレビューで、なんだか調子乗って微妙にえらそうなことを書いているわけだけれど。物語の中にもう1人の「私」をいつも探している。あとは、大好きな人の面影を、煌く瞬間を。
こんな大変な世界を生きている私たちが、それだけで「救われる」瞬間を。
探して、描けたらいいなと思う。
しょせん、人の作ったものをナゾッテルだけだけど。
「プロの観客」になりたい。
そんな、ヘンテコな人間です。