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『ミッドナイトスワン』を白鳥の物語として解いてみる(ネタバレ)

内田英治監督、草彅剛主演の『ミッドナイトスワン』

草彅剛演じるトランスジェンダーの凪沙が、親戚の娘・一果を預かることで変わっていく様を描いた。それぞれに生きづらさを抱えた二人が心を通わせ、身を寄せ合い生きていく姿、凪沙が凄絶な努力をして一果のために母親になろうとする姿は、胸が詰まるほど美しく、素晴らしかった。

 

だが、その一方で、もう一つの側面から見てみよう。これは、一果という無垢な少女が、世界の舞台で踊る「白鳥」になるための、残酷な愛の寓話だとも言える。

 

一果は、自分に愛を与えてくれる人の持ち物を身に着けていくことによって、無自覚のうちに、その能力だけでなく、魂さえも奪い、吸収し、自らのものにする能力を持っていた。まるで、彼女が執着した『白鳥の湖』において、プリマが白鳥・オデットと、彼女に化けている悪魔の娘オディールの二役を見事に演じ分けることによって、純粋と官能の両義性を示すように。純粋なオデット・一果の裏に、魔性の女の本性が見え隠れする。

 

最初に一果に「奪われる」のは、バレエ教室が一緒の同級生・りんである。裕福な家の子である彼女は、みすぼらしい一果にまず自分のお古のトゥシューズを与え、次に衣装を与える。その時点では優位にあったバレエ教室における彼女の地位は、類まれな才能を持っていた一果に瞬く間に奪われることになる。

さらには負傷により夢を絶たれ、親からも見放され、全てをなくした彼女は、一果のコンクールと同時刻に、屋上で同じ「白鳥の湖」を踊り、オデットさながら湖ではなく空に向かって身を投げる。嫉妬と友情、そして淡い恋心の中で揺れた彼女(一見彼女こそが白鳥を陥れる黒鳥そのものだ)の最期の行動は、全てを失ったことに対する絶望の自殺というだけでなく、白鳥であったはずの自分の世界に入り全てを奪い去った黒鳥・一果に対する「自分こそが本物のオデットである」という抗議だったのではないか。

 

次に「奪われる」のは、凪沙である。凪沙は愛ゆえに、一果に全てを与える。

まず大前提の、一果が執着するオデットの衣装は、元々ニューハーフショークラブで踊っていた凪沙が着ていたものだった。一果はその衣装を目の当たりにすることによって、踊ることに魅了される。また、一果の才能と熱意を知った凪沙が、初めて彼女に与えたのも、白鳥の頭飾りである。

レシピもまた、彼女が与えたものだ。一果は、要介護状態になった凪沙に、以前作ってもらった「ポークジンジャーソテー」を作って食べさせる。彼女のレシピを「私のもの」と言い、微笑み合う。

 

全てを与えたからこそ、自身は全てを失う。まるでオスカーワイルドの『幸福な王子』のように、最後の彼女は全てを失くし、「穢れ」の中で朽ち果てるように佇む衝撃的なシークェンスの後、抜け殻になって海辺にいる。

 

ラスト、海外の劇場を颯爽と歩く黒髪の女性の後ろ姿があった。コートにサングラス、ブーツ。背中だけ見ると、幾分か小柄なだけで凪沙そのもの。そこには、りんと凪沙の魂そのものを自分の身体の中に取り込んだ、一果がいたのだった。