映画雑感ー本屋時々映画とドラマ

映画・ドラマレビューばかり書いている書店員のよもやま話

『勝手にふるえてろ』のヨシカは私だ

 これはもう、「私」なのだ。そうとしか思えなかった。

 一人暮らしの小さな玄関とありふれた茶色のコート、となりの部屋でオカリナを吹いている片桐はいり、イライラを抱えて部屋に帰った時の叫びやらなんやら。浮ついた期待が弾けた後の、広い世界の中で一人ぼっちのように思って道端で歌うあの気分まで、これはもう私の話なんじゃないかと錯覚するほどのエピソードに、次第に涙が止まらなくなり、そんなこじらせた感情とは無縁に生きてきたのではないかと思う隣の女子がどうか、この子を好きでいてくれますようにと願う。幸いなことに彼女の中にも少なからずヨシカがいたそうだ。

きっと「ヨシカは私だ」と思った人は私だけではなく、たくさんいるのではないだろうか。女の子は誰しも、心の中にヨシカ的な存在を抱えている。程度の差はあれ。

 

 最近、友人ができた。友人と言っていいのかもよくわからないが、ビールを一緒に美味しく飲める美人で、私は勝手に友人だと思っている。そんな彼女と休みを一緒にとって、福岡に行った。いつもは一人の「孤独のグルメ」旅が二人になった。雪が降る日、柳橋連合市場で海鮮丼とコーヒー、それから映画と本屋巡り、夜はかわ屋で鳥皮とビール。幸せな一日。そんな日に選んだ映画が、この愛すべきヘンテコな恋愛映画『勝手にふるえてろ』だったのだ。

 

 松岡茉優演じるヨシカは、巷でよく言う「こじらせ女子」。(まあ、「こじらせ女子」という言葉の定義についてはいろいろ思うところがあるわけですけど、それを語っていては何千字になるかってわけでして。。)

それもけっこうなレベルのイタさ。冒頭から「私ごときが」と言いながらカフェの女の子の金髪をそっと撫でて涙する子。映画『スウィート17モンスター』でヘイリー・スタンインフェルドが演じた女の子もいわゆるこじらせ女子だったのだが、その顛末は、永遠絶賛こじらせ中みたいな私にとってはどうにも上から目線で、「よかったね、彼氏できてこじらせ卒業だね」レベルの感想しかもてなかったのであるが、『勝手にふるえてろ』のヨシカは最後の最後までめちゃくちゃにこじらせたまま、そんな彼女をバカみたいに大好きな渡辺大知と不器用を通り越した、ぶつかり合いに近いキスを、彼女の古いアパートの小さな玄関で交わすのである。

 

 前野朋哉古舘寛治趣里、柳俊太郎、稲川実代子といったメンバーが織り成すヨシカのありふれた暖かい日常、それはコメディを通り越してもはや幻想に近い何かなのであるが、その均衡が崩れた後の世界を、「絶滅すべきでしょうか?」と松岡茉優が歌いだすミュージカル的シークェンスは、もうただただ切なく美しいとしか言いようがない。

 本当に変な映画だ。松岡がものすごい勢いで喋り、「視野見」という技を使い、現実を見ず、過去という沼に突然沈みだす。回想で登場する後藤ユウミ、眉毛の繋がった柳俊太郎など、イチイチ強烈でヘンテコな登場人物たちが妙なテンションで彼女の日常を彩る。

 とにかく見て欲しい。この孤独で可愛い物語を、たくさんの人に好きになってほしい。そう思わずにはいられない映画だった。