『未知との遭遇』をしておいおい泣いた
『未知との遭遇』(スティーブン・スピルバーグ)を観た。
今更ながら。恥ずかしながら。
「午前十時の映画祭」で幸運にも映画館で遭遇することができたのだ。
おいおいと泣いた。
周りの人の目が気になるぐらいには一人で泣いていた。
未知なる飛行体と遭遇し、恋をするかのように目を一様に輝かせる人たち。
不穏なカーテンの揺れと共に突然生命を持ったかのように動き始める人形たちと、明るい夜に向かってトテトテと走る男の子。
妻子に逃げられようが、狂っていると思われようが、ただ脳内のイメージに従って山を描き続け、その謎を探求し続けようとひた走る男の姿。
半分日焼けした顔、マッシュポテトのオブジェ。あらゆるものを破壊し投げ入れ、崩壊した部屋の窓の中に、唐突に自分の身体をも突っ込む、完全にヤバイ男。
「今やめたら本当にイカレちまう。イカレてても、視点を変えれば正しいんだ」
なんて言うけど、まあどう考えてもとち狂ってる。
その男が、受け入れられる瞬間に。
宇宙人との可愛らしい交感とハーモニー、温かく見送る、同じ志を共にする人々の優しい顔に。
おいおいと泣いたのだ。
それはもしかしたら、阪本監督の『団地』で宇宙に旅立った少年のように、地球には居場所がなくなってしまった、寂しい男の物語なのかもしれない。
でも「視点を変えれば正しい」のだ。ナデリ監督の『山(モンテ)』で主人公と家族たちがひたすら山を破壊することに固執している意味がこちらには一体なんなんだかよくわからなくなってしまうけれど、最後の瞬間彼らのエクスタシーを共有できるように。
宇宙にまで達する恋が叶う瞬間。
誰にもわかってもらえなくても、脳内にとりついたイメージを具現化するためだったらなんでもする、孤独な創造者の執念が実を結び、帰結する瞬間。
それを観客として、暗がりにそっと隠れてカメラを構えつつ、優しく微笑み、涙ぐみながら観ているジリアン・ガイラー(メリンダ・ディロン)と共に、映画館の暗がりに身を置き、その奇跡を目の当たりにできる幸せ。
平成の終わり、ひっそりと観客席に身を置いていた我々もまた、時を経て、その未知と遭遇できた幸運な誰かなのである。