映画雑感ー本屋時々映画とドラマ

映画・ドラマレビューばかり書いている書店員のよもやま話

「道」な一日(『日日是好日』・『顔たち、ところどころ』)

最近、仕事の関係で引越しをした。まだ慣れない街を自転車で疾走する。最寄の無人駅は、たまに地域の人たちが集まる立ち飲み食堂に変化するそうで、その次の日なのだろう、木製のベンチには酔っ払いの走り書きのような落書きと柿ピーが詰まっていた。会ったことのないおじさんたちの青春ごっこを想像する。そしてしばらく電車に揺られて辿りつく、まだ慣れない、でも確実に好きになりそうな映画館。

そこで観た映画2本。

大森立嗣監督の『日日是好日』と、映画監督、アニエス・ヴァルダとアーティスト、JRによるドキュメンタリー映画顔たち、ところどころ』。

JRのあの「目」をどこかで見たと思っていたら、ワタリウム美術館のあの「目」、あの「顔」だったのか。

 

日日是好日』でこんな場面がある。

海岸で、大学を卒業する前の黒木華多部未華子が将来のことを語り合っている。黒木華が海辺の際まで走り、多部に向かって「ザンパーノ!」(多分・・・)と叫び、手にしていた細い流木を使っておどけてみせる。コミカルでささやかな、可愛らしいダンス。

 

そう、フェリーニの「道」。海と焚き火をじっと見つめるインノセントな存在、ジェルソミーナと、彼女を二束三文で買った、粗野で乱暴な旅芸人、ザンパノの切ない物語。『道』が海の映画であるように、『道』の話で始まり『道』の話で終わる『日日是好日』もまた、海の映画でもある。

 

20代の黒木華はこの時、ジェルソミーナの側にいる。小さい頃わからなかった映画が今見返すとなんだかわかる、なんだか涙が出ると彼女は言う。自分の存在意義がわからない、模索しているジェルソミーナとして、海の際で、友人多部未華子に呼びかける。

 

30代、父親を失った彼女は、また海辺に立っている。今度は海の際にいるのは鶴見慎吾演じる父親であり、黒木華は海辺にいて、父親を見て叫ぶ。「お父さん!」と。

この時の黒木華は、自分にとっての亡きジェルソミーナの存在の大きさを今になって知り、海辺で慟哭するザンパノの側にいるのだ。自分にとっての父親の存在の大きさを亡くなった後に初めて知る。

 

だから、この映画は、茶道と『道』の映画であると言えるのだ。「これを知らない人生なんてすごくもったいない」。うつろう季節、その小さな変化は、ただぼんやりと日常を過ごしていたら見逃してしまいがちなもの。そしてそのなんという事もない日常は、毎日同じようにはできていない。その全てが一期一会であり、人間の生と死もまた同じ。

 

そこに、茶道の先生役を演じた樹木希林自身の死が重なってくる。

映画の中の2018年、彼女は88歳という設定で生きていて、今年と同じ茶器が使える12年後、「私100歳だわ」と言って笑う。80歳の希林さんにも、90歳の希林さんにも、私たちはもう会うことができない。

 

そして、続く『顔たち、ところどころ』。

これは『道』とは全く関係がないのだが、ある意味『道』の映画だった。カメラを模した車に乗って、54歳差の2人は旅をする。サングラスを決して外さない長身のJRと、小さくて丸い、白とオレンジのポワンとした不思議な髪型のアニエス・ヴァルダのデコボココンビは、勝手な話だが、ザンパノとジェルソミーナのフォルムと重なる。

 デコボコ道を”カメラ”は進み、たくさんの人々の顔が撮られていく。そこで立ち現れる、その街を生きる人々の人生、そして”ヌーヴェルヴァーグの祖母”とも言われるアニエス・ヴァルダ自身の顔、そして人生。

 

彼らが見つめる海岸。そびえ立つ不思議な岩に寝そべらせた、懐かしい人の肖像は、海の波によって一晩で姿を消してしまう。それを切なげに「しかたないわ」と見つめるヴァルダ。移ろいやすいものだから、人はいずれ死に、自分も死にゆくものだから、それを恐れはしないと。

 

そして、1つの期待と”彼らしい”といえば彼らしい、ある人物の裏切りを前に落ち込むヴァルダと、彼女を慰めるJR。JRを見つめるヴァルダのその瞳の先には、もしかしたら若かりし頃のゴダールが重なっていたのかもしれない。

 

帰りがけ、古書店に寄って、なんとなく見つけた淀川長治さんの本を買う。 淀川さんと言えば、『道』の解説で、ザンパノが殺してしまう、調子のいい綱渡りの男、イル・マット(”狂人”という意味らしい)のことを「神」のような存在であると述べていた。私は「神」であると同時に、ジェルソミーナもまた、哀しいことに精神を病み発狂し同じく”狂人”になるわけで、ジェルソミーナにとっての「鏡」の意味を持っているのではないかなと思う。彼らは、同じ記号を持った人物であり、2人ともザンパノのために死ぬ運命にあった。

イル・マットは、なんだか色っぽくて切なくて、好き。

 

そんなことを、つらつら考えつつ。

若干空気の抜けかけた自転車がプシューッと言って、帰り着いてしまった。